2006年32歳の私と長女・次女
50歳は思ってたんと違う……
本日50歳となりました。
私が子供のころに思い描いていた50歳は、もっと落ち着いた「お年寄りの入り口」といった風情。
「サザエさん」のフネさんが52歳の設定で、ああいうイメージでした。
しかし、自分がいざ50歳になってみると、ちっとも落ち着いていませんね。
走ったり、泳いだりとやっていることも、10代、20代のころとあんまり変わりません。
ぜんぜん順調ではなかった20代・30代
今年は長女・次女が社会人になりました。
またお仕事や趣味で20代・30代の方と関わることが多く、その年頃の仕事や趣味などで活躍する方々の情報をSNSなどで目にする機会も増えています。
みなさん、充実していていいな~、キラキラしているな~と少しうらやましく感じます。
というのは、自分が社会人になってから30歳くらいのころというと、こんな時期で……。
- 27歳で長女を出産し、横浜で核家族ワンオペ育児スタート。保育園に20時まで預けて働くも、子供由来の遅刻・早退・欠勤により、正社員からアルバイトに変わるよう職場から勧められる。
- それでもと粘って正社員で働くなか2年後に第2子妊娠・出産。育児と仕事の両立はできないだろうと悩み、在宅コピーライターの副業開始。睡眠不足でふらふらになりながら原稿を書く。
- 保育園をなんとか見つけて職場復帰という矢先に前夫に転勤辞令。復帰予定で準備してくれていた職場に迷惑を詫びて詫びて退職。
- 次女が生まれたころからうつ病を患った前夫がアルコール依存症に。慣れない土地での仕事(メディアサイト編集者)と副業(コピーライター)と育児と前夫のケアでさらにふらふら。
- 第3子妊娠と前夫の病気退職を機に、やりがいを感じていた仕事を諦め、富山へUターン。病気で働けない無職の夫と3人の未就学児を抱えた無職32歳となる
22歳で社会人になってから女性差別や女性の働きづらい状況を目の当たりにして「どうすれば気持ちよく生きられるのか」と模索をしていましたが、10年で状況はどんどん苦しくなるばかりでした。
富山では家計を支える必要があるため必死で働きました。仕事を覚えて早く一人前になりたいと21時くらいまでは働き、ときには日付が変わったり、朝まで徹夜もありました。
キラキラ充実!みたいな雰囲気とは無縁で、いつもぼさぼさ目の下にくま。トレーニングもままならず、大会には5年間、まったく参加していません。
それでも、娘たちには困っていることや悩んだり、不安を抱えたりしていることは悟られまいと、頑張っていましたね……。
トライアスロンの再開も夢のまた夢という状態でしたが、娘たちとプールに通っては子供プールでクロールや潜水など、できることを練習していました。上の写真の私はそんなころ、32歳で三女妊娠中の私です。
このころの自分を思い出すと、ほんといとしげ。「このキツイ状況は、あなたのせいではない。よくやっているよ……」と当時の自分に声をかけたくなります。
自分らしさを取り戻していった40代
富山に戻って生活とキャリアの立て直しを図ってきましたが、38歳で前夫がまたも病気休職からの退職。同時期に家事育児をサポートしてくれた母も体調を崩し、中学生の長女・小学校高学年の次女はいろいろ悩み不登校。
私は家族ケアをし、かつ生計を担うという難題に、出勤が基本である会社員を諦め、在宅勤務のフリーランスという道を選びました。
その後、稼ぎ方を模索し41歳で「林原商店合同会社」を設立。42歳でデンマーク視察、43歳で娘たちとイタリア旅、44歳で病気から回復した前夫と離婚などいろいろ考える出来事がありました。
また、トライアスロンを楽しむ仲間ができたり、多様性を認め合う仲間ができたり、素晴らしい出会いがあったり。
近年は、新型コロナの流行や椎間板ヘルニアの手術、能登半島地震など、人のつながりや健康や生と死についても考えさせられました。
振り返ると、40代は働き方、稼ぎ方、暮らし方など、20代のころから「どうすれば気持ちよく生きられるのか」と考えてきた理想をひとつひとつ形にしてきた期間でした。
今は30代のとき切望していた「眠い時は眠る」「子供と一緒に夕飯を食べる」「日常的に体を動かす」なども叶い、だいぶ「自分らしく」いられるようになった気がします。
「今が一番幸せ」といえる人生を送りたい
20代、30代ですでにライフワークを見つけたり、一角の人物になられたりでキラキラ輝いている方々を見ていると、私は仕事も趣味も進歩がゆっくりで、かつ、回り道も多かったとつくづく思います。
とはいえ、子供たちの成長や前夫の社会復帰をサポートした経験やそのなかで働き方や暮らし方を試行錯誤したことは、無駄や障害だけだったわけでもありませんでした。
困難にぶつかるたびに学んだり、行動したことで、私の知識が増え、スキルが向上したことは、今の仕事につながっています。
多くのタスクをこなし、理不尽に向き合った経験から、時間やお金をうまく使うことや度量の深さや忍耐強さ、用心深さや自分軸など、20代のころにはなかった資質が身に付きました。
何回も何回も失敗したため、人生は「失敗か成功」のように分かれていて1回の失敗でゲームオーバーになるわけではなく、「失敗」の先に「成功」があるのだと実感しました。
何がよいのか悪いのか、その時は分からず、まさに「人間万事塞翁が馬」。
私の好きなスピーチに、スティーブ・ジョブズのいわゆる「伝説の卒業式スピーチ」があります。※オススメ。見たことのない人はぜひぜひ!
このときジョブスは私と同じ50歳。「 connecting the dots(点と点をつなげる)」「 love and loss(愛と喪失)」「death(死)」のエピソードは、どれも共感するばかりです。
50歳で「今が一番幸せ」と言えて、よかったと思います。またしんどいことが起こっても、その先によいことがあると信じて、前向きに立ち向かえそうな気がします。
あなたが今もしも辛い局面にいるとしても、それはきっと通過点です。この先どんどんよくなれると信じていきましょうね。※ジョブスの動画を見るほか、自分史を振り返るのもオススメです。
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ここだけに掲載している林原りかの「自分史的自己紹介」をお届け後、言葉やブランディングで、ビジネスと人生を充実させるヒントをお伝えしています。返信もOK!