富山の偉人から学んだ「お金」との付き合いかた

子供のころ、お金について学ぶ機会が少なかった私。富山の偉人に関する書籍を編集したときに知ったお金への考え方がとても勉強になりました。

 

【富山の象徴・立山連峰。みんなこの風景を見て育ちました(2018年1月14日撮影)】

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安田善次郎「収入の2割を貯蓄」 生存の基礎と社会的優越を確立

安田 善次郎は、富山県富山市出身の実業家です。安田財閥の創設者であり、みずほ銀行のルーツである安田銀行を設立。晩年には日比谷公会堂や東京大学の「安田講堂」を寄付したことでも知られています。

善次郎は経済的に恵まれた出自ではありませんでした。しかし、幕末に両替商として成功したことをきっかけに、実業家として財をなしていきます。

お金のプロ中のプロである善次郎が実践した蓄財法は「収入の2割を貯蓄」し、残り8割で生活するというもの。善次郎は貯蓄を「生存の基礎」と定義し、貯金があれば「個人的または社会的に優越となる」としたそうです。

恥ずかしながら、私は大学生で1人ぐらししてから長女を授かるまでの約10年間は家計管理に無頓着で、貯金がちっともできませんでした。

同じ苦労をさせたくないという反省も込めて、娘たちには「2割貯金」を伝えています。具体的には、まずは非常事態に備えて、収入(こづかい)の1年分はストックしておこうよと言っています。

大谷米太郎「タネ銭哲学」 コツコツ貯めて大きく使う

大谷米太郎は、富山県小矢部市出身の実業家です。貧農の家庭に長男として生まれ、31歳のとき上京。相撲力士を経て商売を始め、のちに大谷重工業を起して「鉄鋼王」と称されたほか、東京オリンピックに合わせてホテルニューオータニをオープンし成功をおさめます。

この米太郎のエピソードとして「タネ銭哲学」が知られます。タネ銭とは、投資などお金を殖やそうとする時、もとにするお金のことです。

元手とするまとまったお金があることのメリットとともに、「タネ銭」を苦労しながら貯める過程で、さまざまな知恵や知識が育まれると説きました。

というわけで、娘たちには「貯蓄は、いざなにか高価なものがほしいとき、お金のかかることをしたいときに、ばーんと使うためにする」と伝え、「貯金のための工夫」を考えるよう勧めています。

長女は古着や興味を失ったCDや書籍などをネットで売ることを思いつき、実践していました。

浅野総一郎「積極的致富」 健康な心身でめいいっぱい働く

浅野総一郎は富山県氷見市出身の実業家です。地元で商売に失敗し、夜逃げのように上京しますが、その後は次々とビジネスで成功。「セメント王」と呼ばれ、日本初の臨海工業地帯・京浜工業地帯の建設に取り組みました。JR鶴見線の「浅野駅」の駅名の由来です。

総一朗は、食事代を削ってお金を貯めるような節約を否定し、大いに栄養をとってたくさん働けば自然に財をなされるという「積極的致富」を奨励しました。

「稼ぐに追いつく貧乏なし」と働き、入ってきたお金も溜め込まず有効に働かせ(投資)る主義でした。

というわけで、我が家も健康な体づくりこそ何よりの投資と考え、日々の食事作りに励んでいます。また、ここぞというときには、小遣いの前借りOKにしています(ただし、使いみちと返済の約束はきっちりと)。

先人の伝記には教訓がいっぱい

このように先人の伝記、つまり先人の人生からは、後から生きる私たちへの教訓をたくさん得ることができます。小説以上にドラマティックなエピソードも多く見られます。

伝記や自分史、直接お話を伺うなど、他人の人生に接する機会を増やしてみてはいかがでしょうか。同時に、自分の人生を語ることも、誰かのためにきっとなることでしょう。

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