「あたしおかあさんだから」(のぶみ作詞)。モヤっと感の理由を文法的な視点からも

絵本作家ののぶみさんが作詞し、横山だいすけさんが歌う「あたしおかあさんだから」という楽曲に、子育て中の母親や独身女性からの批判を受け、のぶみさんとだいすけさんが謝罪コメントを出す事態になりました。
私も聴いてみて、モヤっとしたものを感じた「おかあさんだから」。なぜ、この詩に違和感をもつのか、文法的な側面からも考えてみました。

【長女と次女 2003年12月撮影】

目次

「おかあさんだから」はどこが批判の的になったのか

「おかあさんだから」のどこが問題とされたかは、ジャーナリストの中野円佳さんが、以下の3点に分類できると指摘しています。

【1】そんなに母親たちは我慢や自己犠牲ばかりしていない
【2】母親だけに我慢や自己犠牲を礼賛しているようで「呪い」に感じられる
【3】母親になる前の女性のこともばかにしているように聞こえる

また、上沼恵美子さんは「泣かそうとしているところがあざとい」、石井竜也さんは「『女性』と『母親』を一緒にしてはだめ」と指摘するなど、詩の内容だけでないところにも話題が広がりました。

当事者でも「なんかイヤな感じ」……なぜ?

こんなに批判を受け、話題になる楽曲とはどんなものなのか。

私も夫と一緒に、歌詞や歌声を確認してみました。

歌詞は、母親が自分の好きなことをやめて子供を優先している姿が、母親目線で語られます。

今は爪きるわ 子供と遊ぶため
走れる服着るの パートいくから
あたし おかあさんだから

あたし おかあさんだから
眠いまま朝5時に起きるの

あたし おかあさんだから
大好きなおかずあげるの

あたし おかあさんだから

「おかあさんだから」というフレーズが繰り返され、ラストは以下のように結びます。

もしもおかあさんになるまえにもどれたなら よなかにあそぶわ
ライブにいくの じぶんのためにふくかうの
それぜーんぶやめて いま、あたしおかあさん
それぜんぶより おかあさんになれてよかった

この歌詞を読み、歌を聴いた夫に、さっと聴いただけの時点の率直な感想を聴いたところ、

「いい感じはしない」
との答え。その理由は
「お母さんだけに、苦労を押し付けている感じがする」
というものでした。

私も、率直にいうと、ぱっと見て聴いたときの印象は
「なんかイヤな感じ」
でした。モヤモヤしたものを感じます。

私も、歌詞のとおり、走れる服を着て、ツメを短く切り、眠いまま5時(ときにはもっと早く)に起きます。

好きなおかずはムスメたちの皿に移すこともしばしばです。カレーも甘くなりました。

確かに、のぶみさんが「おかあさんにエピソード募集して作った」とおっしゃるとおり、あのお母さんの姿は「わかる、わかる」という方が多いことでしょう。

しかし、そんな歌詞に近い生活を送る私にも、のぶみさんがいう

「あたしおかあさんだから体験できたこと」を描いた「ママおつかれさまの応援歌」

には、聞こえませんでした。

作者と歌い手の思いが、母へのエールだったとしたら、どうしてこのようなずれが生じてしまったのでしょうか。

自己犠牲を題材にした他の楽曲との違い

母親の自己犠牲を礼賛しているのがダメなのか。という点を考えてみました。

しかし、私が「母親としての自分」を励まされたと感じる楽曲には、「ヨイトマケの唄」(美輪明宏)や「道標」(福山雅治)など、「母の自己犠牲」を称える歌もあります。

ただこれらは、

視点が母親や祖母、妻以外など苦労した本人以外

であり、

苦労をかけてしまったことに対して、後から振り返って感謝する

というところが「おかあさんだから」との違いです。

「おかあさんだから」は、母親本人が
「こんなに子どもを優先して自分を犠牲にしているけど、お母さんになれたからよかった」
と自分の考えを述べるスタイルです。

文法から見る「おかあさんだから」

この詩の特徴は、なんども、なんども繰り返される
「おかあさんだから」
というフレーズでしょう。

文法的な文章の構造を確認すると、この「から」は接続助詞です。意味は「確定の順接」とされています。

「確定の順接」とは

事実の事柄について、順当な事柄があとに続く

ことを示します。「から」や「ので」がこれにあたります。

ちなみに、「仮定の順接」は、仮定の事柄に対して、順当な事柄が続くことで、例えば「降れば」の「ば」があたります。「確定の逆接」は、事実の事柄に対して、反対の事柄が続くことで、例えば「けれど」があたります。

「から」のあとには、順当、つまり当然そうだといえる事柄が続くことは、この楽曲、その名も「DA・KA・RA」(大黒 摩季)の詩に実感します。

愛だから できない
偽りだから 知りたい
謎だから 夢見たい
恋だから 見つめない
孤独だから 抱かれたい
イヤだから 感じたい

前後の事実と「~したい」という希望が、順当なこととして結びつけられ、「当然でしょ!」と訴える力を「から」は持っています。

さらに、同じ「確定の順接」のなかでも、「から」と「ので」を比べると、「ので」がより客観的で論理的といわれ、「から」は

  • 直接的
  • 主観的
  • 感情的

であるといわれてます。
テレビドラマ『ドクターX』のフリーランス天才外科医・大門未知子のセリフ、

「私、失敗しないので。」


「あたし、失敗しないから!」
だと随分印象が違います。

「ので」を使うことで、客観的・論理的に、
「失敗しない」
ことに自信があることを感じさせてくれるセリフです。

「おかあさんだから」の一人称が砕けた「あたし」であるところは、個人的な独白のような雰囲気を生み出す意図があったのかもしれませんが、しどけなく幼稚な印象も与えます。

というわけで、
「おかあさんだから●●するの」
のフレーズは、

1,母親本人が
2,「自分は母親である」という事実に対して
3,「●●する」ことが、順当・当然であると、
4,砕けた口調で(無防備に)、主観的、感情的に訴えている。

ということが、文法的にも解釈できます。

読む人はこんな理屈を分析したわけではないでしょう。しかし、自然に、直感的に同じように解釈したのでしょう。

この
「母親本人が、『自分は母親である』という事実に対して、『●●する』ことが、順当・当然であると、自分に向かって『主観的、感情的に』何度も何度も繰り返し訴えている」
という光景が、痛々しく、どうかすると切羽詰まった印象すら与えるように感じます。

このことが、母親であっても「●●」を当然と考えていない人や、母親だけが「●●」することをよしと考えていない人に、気持ち悪い感じや違和感・不快感を持たせる結果になってしまったのではないでしょうか。

「十把一絡げ」への反発

また、「おかあさん」というある属性で十把一絡げにまとめられ、
「こう考え、こうするのが当然」
と繰り返されれば、近年の多様性を認める考えが広まる環境下で、さまざまな立場の方々から反発を呼ぶことも、そりゃそうだと感じずにいられません。

十把一絡げへの反発は、こんなこともありましたっけ。

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「芸のためなら女房も泣かす それがどうした 文句があるか…」
と始まる「浪花恋しぐれ」など、
「自分を犠牲にして、他人のためにがんばる」
という姿は、それまでも歌になってきました。

苦労する妻の、自分目線のセリフもあります。

うちはどんな苦労にも耐えてみせます

もしもこの歌が今発表され、この文章に「妻だから~」と続けば、「妻」である人たちの猛反発をきっと招くことでしょう。

西野カナさんの「トリセツ」なども、

一輪の花にもキュンとします。

といったヒロインの特徴を述べた後に、もしも
「女の子だから~」
と繰り返せば、そしてその作詞者が男性だったらなおさら
「女に可愛さばかり求めている」
「私は女の子だけど、こんなんじゃない」
と、若い女性の支持を受けなかったのではないでしょうか。

同じ母の苦労を描くにしても
「おかあさんだから」
のフレーズがなくて、一個人の心情を歌えば、ここまで反発を招くことはなかった気がします。

「こう書いたつもり」は読み手に通じない

私たち編集者が、ライターや筆者の文章をチェックするときには、意味の分かりにくいところや誤解を招きそうな部分をチェックします。

疑問出しをした部分に対して、
「こういうつもりで書いたんです」
と、ライターや執筆者から文意を解説されることがあります。

しかし、文章で発表するものは、文章で相手に届きます。音声解説をつけることはできません。文章の解釈は、読み手に委ねられます。

そのため、
「では、そういう意味に読み取れるように書いてください」
と文章を見直します。

「あたしおかあさんだから」の作詞者のぶみさんさんが「ママおつかれさまの応援歌」とおっしゃる通り、ご本人には、

「母親が自己犠牲するのが当然。それを『子どもを持つことができた代償としてむしろ喜ぶ』のが当然」

という考えはなかったかもしれません。実際、そうおっしゃっています。

もしその通りであれば、実際の思いが伝わるような詩に仕上がらなかったことや、編集者や関係者のチェックや母親たちへの読後感の声を集めて、読み手の受け取り方をチェックすることができなかったのは、とても残念なことだと感じました。

こうした事故を防ぐには、本人の推敲のほか、アチラコチラの目でチェックすることがやっぱり必要です。

参考

母の自己犠牲を描くとなぜ炎上するのか のぶみ作詞「あたしおかあさんだから」 を認知的不協和から考える

上沼恵美子「あたしおかあさんだから」騒動を一蹴も…歌詞は「あざとい」

石井竜也が「あたし、おかあさんだから」を酷評
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