猫に学ぶ「最高の最後の過ごし方」

先日、私の長年の相棒・猫のむうくんが14歳で亡くなりました。お別れは寂しいものの、別れ方としては最高だったのではないかと思います。IMG_20190130_104437

【2年前に亡くなった猫の「ふく(左)」とむうくん。今頃、虹の橋のたもとで再開していることでしょう】

目次

どんなふうに旅立つのが幸せか

動物を飼うと避けられないが、永遠のお別れです。

どんなふうに見送るのか、病院にはいつまで連れて行くのかなど、飼い主としては迷うところでしょう。

私も以前、猫のふくを7歳で見送ったとき、子どもたちと大いに迷い、調べ、考えましたが、それでも悔やみました。

今回は先住猫のむうくんが体調を崩し、高齢でもあったため、最後をどうするかについて子どもたちとは話あってきました。

むうくんが体調を崩し始めたのは、今年の5月くらいからです。

口の周りが炎症を起こして、食事の量が減り、体重が減っていきました。

猫が長寿命化したことで、歯石が溜まった部分からおこる歯周病が増えているそうで、むうくんもその症状でした。悪化すると、抜歯したり、顎を骨ごと切除することになると、獣医さんから伺いました。

「食べられなくなっても、顏を骨ごと切除しても、あと数年間の長生きをとるか」

という問が、私たちには与えられたのです。

自分や自分の親ならどうだろう?と娘たちと話し合いました。その結果、食事を工夫して食べやすくしたり、口内をなるべく清潔にして、気持ちよく過ごせるようにしてやろうと方針を決めました。

それからは、毎日2回の食事をしっかりと食べ、ゆったりと過ごす毎日が続きました。

ゆうくんはだんだんと痩せ、寝ている時間が長くなり、私が家で仕事しているときは隣の椅子か私の膝の上にのって一緒に時間を過ごすようになりました。

自宅で仕事をしていてよかったと、つくづく思いました。

亡くなったときの様子

亡くなった日の朝は、普通に朝ご飯を食べ、午前中はいつものように仕事をする私の膝の上で過ごしていました。

異変は夕方のことです。

外出していた私に夕方、家にいた高2次女から「むうくんが立てなくなった」と連絡が入りました。

帰宅して、横たわるむうくんを抱くと、体温が下がっているように感じました。それでも私の声を聞くと、足をじたばたして私のほうへ近寄ろうとします。

大1長女に帰宅するよう伝え、こたつを出してむうくんを温めました。

中2三女も帰宅したところで、再度家族会議。

「病院には連れて行かず、いつもどおり一緒にいる」で意見が一致しました。

それからは、私の膝の上にいるむうくんを3人娘が交互に様子をみたり、なでたりながら、おしゃべりし、夕飯を食べ、普段どおり過ごしました。

途中、高2次女にだっこを変わってもらって、もう一度私の膝に戻そうとしたのが20時30分すぎ。

「あれ? 首が座ってない?」と次女。むうくんはすでに息を引き取っていました。

私と娘たちが全員揃える日を狙ったように、半日ほど寝込んだだけで、だれにも迷惑をかけず、いってしまいました。

それからは、ベッドに寝かせたむうくんが寂しくないようにと、周りを娘たちと4人で囲んで女子トーク。努めて明るく話をしました。

翌日はそれぞれ午前中から用事があったため朝5時から、仲良しだったふくの隣にお墓をつくりました。

「お母さんのことが一番好きだったから」と、娘たちが私の部屋着のTシャツを一緒に納めていました。

悔いなく送るにはベストを尽くすこと

むうくんがいなくなって寂しさを感じていますが、実は悲しさはそれほどではありません。娘たちも同じような気持ちのようです。

というのは、むうくんが長生きし、ピンピンコロリの大往生だったこともありますが、一番の要因は、

「精一杯、いい関係でいられたこと」

「週末期の治療や最後の過ごし方を家族で話し合っていたこと」

があるかと思います。

体調を崩してからもなるべく近くにいることはできましたし、看病も精一杯しました。最後は病院に行かないと決め、家でゆっくり一緒に過ごせました。

いろんな意見はあると思いますが、私達としてはベストを尽くせたと思います。

そのため「もっとああすればよかった」「こんなこともできたはずなのに」といった悔いがありません。

私たちには、必ず別れがあります。必ずどちらかが先に死にます。終わりのない出会いはありません。

周りの人たちとも、いつ別れることになったとしても「ベストを尽くした」といえる関係性を築きたいものだと思います。

最後まで健康でいたい

また、むうくんが亡くなる朝まで普通にご飯を食べ、夕方までトイレも自分でできるほど元気だったことも良かったと思います。

長引く看病に疲れ果てていたら、あんなに明るく見送れなかったかもしれません。

人間の平均介護期間は15年間などとも言われますが、私は健康と足腰の維持に努め、ピンピンコロリを目指そうとつくづく感じました。

猫の死を恐れすぎない

飼い猫は基本的に飼い主より先に死ぬものです。猫に限らず動物を飼っていれば、その死は避けられません。

インターネットで飼い猫の死ぬときのことを調べると、「半狂乱」「嘔吐」「泡を吐く」「断末魔の声」といった苦しむ様子を紹介する記事が多いように感じました。

しかし、むうくんは鳴き声がだんだん小さくなり、目がうつろになるくらいの変化で、最後は2,3回ほんの小さく痙攣した(今から思えば、あれが最後の動き)だけの安らかな旅立ちでした。

以前見送ったふくも、呼吸が口呼吸になった時間を数分あっただけで、すっと息を引き取りました。

いろんな猫や死に方があると思いますが、猫が苦しむ様子を見ることを怖がりすぎることはないと思います。

むうくんが亡くなってもう会えないことはとてもさみしいのですが、これまで14年間にわたり私を助け慰め、後からきた「ふく」や「ドラ」をおおらかに迎え、たくさんの楽しい思い出を作ってくれたことに感謝しています。

ほんとうにおつかれさまでした。虹の橋のたもとで待っていてください。

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