「不登校は不幸じゃない」に賛成。不登校は特別な「問題」ですらありません

少し前に「不登校は不幸じゃない」と YouTube で主張する少年が話題になりました。私も、元不登校の子供の母として「不登校は不幸じゃない」と考えています。

目次

我が家の「不登校」事情

私には三人の娘がいます。高校3年生の長女、高校1年生の次女、中学校1年生の三女です。

このうち、長女と次女が不登校を経験しています。

長女は中学校1年生の5月から年度末の3月まで学校を休み、中学2年生の4月から登校を再開しました。

現在は、希望していた高校に進み、大学進学を目指し、勉強中です。

次女は、中学校1年生の夏休み明け9月から、中学校2年生の年度末3月までお休みし、中学3年の4月から登校を再開しました。その後、3年生の夏休み明けからは、再び学校をお休みすることにしました。

現在は、自分の目指す職業に合った高校に進み、 同好の友や合う先生方と出会い、高校は現在のところ皆勤です。

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「不登校」は特別ではない

地方の田舎に住んでいて、自分の学区や日本の常識しか知らないと、「学校に行かない」は、ものすごい問題行動のように思われがちです。

私も「自分の育て方が悪かったか……」と、当初落ち込みました。

しかし、それは、視野の狭いものの見方でした。

世界的にみれば、さほどの問題行動でもありません。

なぜなら、家庭で親が子供に勉強を教える「ホームエデュケーション」など、子供が家で学ぶことも選択肢のひとつとなっている国なもあります。

我が家の娘たちのように、学校がつらいなあと考えた子供はとくに問題なく、家で過ごします。不登校はあるが、不登校問題はない、というわけです。

また、世界を見れば、そもそも学校に通えないような地域も多くあります(これこそ問題です)。

つまり、「学校に通っていない」という特性そのものは、世界的にみるとそれほど特殊でもないと思います。

それから、「学校に行かせないと、社会性が育まれない」という不登校を認める親への批判も聴きます。

しかし、学校のように「同い年の人間が集団で、一斉に何かさせられる」という場面は社会に出るとありません。それを経験しないことで生じる問題は、何があるのでしょうか。

不登校はその子の特性のほんの一部

その子供にとって、「不登校である」ことは、その子の様々な特性の中のほんの一部です。

ましてや、一生の幸福と不幸を左右するような要因でも何でもないと思います。

それよりも大切なことは、本人が自分を認め、受け入れ、幸福だと感じているかということではないでしょうか。

我が家の長女と次女の場合、長女は当初、自分が「学校に行く」という「当たり前のこと」が「みんなと同じように」できなくなったことをとても恥じ、自分を責めていました。

しかし、私から見ると、「学校に通っているか/通っていない」ではなく、前を向いて歩くパワーがでないことのほうがよほど問題でした。

その後は、適応指導教室(「教育支援センター」のこと。早く名称を正してほしい)で出会った先生方との心の通ったご指導により、卑屈になることなく、自分の選択を自分自身が尊重するようになり、元気を取り戻しました。次女も同様です。

不登校のときの娘たちは、毎日の通学こそありませんでした。

でも、娘たちを愛する家族と趣味を語れる友達がいて、温かく接してくれる異年齢の知人がいて、信頼できる先生がいて、健康な心身と学ぶ意欲と好奇心をもち、将来の夢や目標と明日の予定がありました。

13~15歳の子供に必要なものはすべて揃っていたと、今でも思っています。

「問題」は環境によって作られる

こうした観点をもつと「学校に通っているか/通っていない」かという違いは、いかにもちっぽけな差異のように感じます。

「不登校」は「不幸」とか「不幸じゃない」と騒ぐほど大した出来事でもないし、「不登校でもできることを示して、勇気を与える!」などと意気込むほどの挫折でもない。

それをあたかも人生が終わる挫折のように、母親の育児の大失敗のように、偏見を持たれるから、親子ともに劣等感や自信喪失が生まれ、学校や世間はさらに恐ろしい場となり、状況はこじれ「問題」扱いされていくのではないでしょうか。

つまり、「学校にいかない」が社会的に普通に受け入れられれば、そもそも「不幸」とかどうとか考える必要もありません。

例えば、「フルマラソンを走らない」は問題視されないので「フルマラソンを走れない」は不幸ではなく、引け目を感じる必要もありませんよね。

偏見によって、不登校「問題」が生まれていきます。

なお、文部科学省は、2016年9月14日に、「不登校児童生徒への支援の在り方について」と題して、以下のような通知を出しています。

不登校については,取り巻く環境によっては,どの児童生徒にも起こり得ることとして捉える必要がある。(中略)多様な要因・背景により,結果として不登校状態になっているということであり,その行為を「問題行動」と判断してはならない。

その通知の中で「支援の視点」として、以下のように明記しています。

     不登校児童生徒への支援は,「学校に登校する」という結果のみを目標にするのではなく,児童生徒が自らの進路を主体的に捉えて,社会的に自立することを目指す必要があること。

参照 不登校児童生徒への支援の在り方について(通知)

今では、私は学校について、大人にとっての職場選びと同様に、いい環境なら通えばいいし、マイナス要素しか感じず行くのが苦痛ならやめてもいい。どっちでもいいと考えています。

通学は成長と学びの「手段」であって「目的」ではなく、それよりも人生には大事なことがたくさんあるからです。

我が家では、不登校を「だれでもありうる普通のこと」と受け止められるようになったことで、家族のなかでは不登校が「辛いこと」でも「問題」でもなくなりました。

必要な方にとって、参考になるところがあれば、幸いです。

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